★☆★ 『スペクトラム』 と みるく ★☆★


『スペクトラム』 がデビューした時、私みるくは小学6年生でした。 (歳がバレるケド・・・・)

当時の私は、その前年にデビューした 『サザンオールスターズ』 の大ファンで、寝ても覚めても

サザン一色といった感じでした。

もっとも、ファンとは言っても、東京からは遠く離れた福岡に住む小学生に出来ることと言ったら、

「明星」や「平凡」といった当時とてもポピュラーだった音楽情報雑誌を買って読んだり、「ベストテン」

などのランキング番組をTVで見たり、ラジオの音楽を聴いたり、少ないお小遣いを一生懸命貯めては

せっせとアルバムを買う・・・ そんなことが精一杯。 とても、ファンクラブに入会するお金もなければ、

コンサートに行くことだって出来やしません。


そんな私が最初に 『スペクトラム』 の存在を知ったのは・・・

・・・実は・・・白状すると、あまりはっきりとは覚えていないのです。

前述の「明星」・「平凡」のどちらかで、グラビア写真を見たのが先だったのか、それともラジオの深夜

放送でやっていた、サザンの桑田さんの「オールナイト・ニッポン」の中でゲスト出演して、そこで

「トマト・イッパツ」を聴いたのが先だったのか・・・ そのへんがどうも曖昧なのですよね。

でもグラビア写真を見た時は、妙ちきりんな格好をしてて ”何だ?この人たち” と思ったんですよね。

まるで、デビュー当時のサザンの扱い同様、「イロモノ」「キワモノ」って感じで。

だけど、その中で 西慎嗣さんだけは ”カッコイイなぁ” なんて。

割と、童顔というか、かわいい感じの顔をしてたと記憶してますが、後で知ったら、デビュー当時はまだ

19歳だったって言うんですから、ま、当然ですか。

リーダーの新田さんは、真っ黒なサングラスをかけていて、小学生だった私からすると 「怖い人」って

感じでしたっけ。

「トマト・イッパツ」を初めて聴いた時も、”なんか変な歌” と思いました。

当時の日本では男性が甲高い裏声で歌うなんて馴染みがなかったし、小学生だった私は洋楽にも

ほとんど縁がなかったから、その歌声の異様さにちょっと圧倒され、なおかつ「トマト・イッパツ」なんて

妙なタイトルと、その意味不明な歌詞(というか単語)に、???? と思ったものです。

だけど、そのメロディと、ホーンセクションの迫力に心地よさを感じたのも事実です。

そして、初めてグラビアでその姿を見た時と、「トマト・イッパツ」を初めて聴いたその時に

私の中に 『スペクトラム』 という存在が刷り込まれてしまったのでした。

まぁ何せ、小学校5年にして、当時 「コミックバンド」だの「イロモノバンド」だの「一発屋」だのと

少なからず蔑みの目で見られていた観のある 『サザンオールスターズ』 の熱狂的ファンだった私

ですから、(当時は・・・サザンのファンだと他人に言うと「えぇ〜!?」と言われたものです・・・)

『スペクトラム』 の耳慣れない歌声も奇抜な衣装もすぐに魅力と化し、その素晴らしい音楽の虜と

なってしまってました。

でも、実際に演奏している姿を目にしたのは・・・多分、テレビで1〜2度くらいしかないと思います。

アルバムなども持っていなかったし・・・。

だから、その後 『スペクトラム』 の特集が(・・・と言っても、ほんの僅かの時間です) がラジオであり

その中で数曲紹介されると新聞の番組欄で知り、それを録音しては、何度も何度も聴いたものです。

その時、紹介されたのは・・・ 「アクトショー」と「トマト・イッパツ」、「F・L・Y」の3曲ははっきり覚えて

いるのですが、他にも「イン・ザ・スペース」や「パッシング・ドリーム」があったような・・・、それとも

それは別の時だったのか・・・ ここもまた、記憶が曖昧なのでした。
 

ホントのところ、私にはあまり 『スペクトラム』 に関する記憶が残ってないのです。

確かに、作品にしても映像にしても、あまり多くは触れられなかったというのもありますが。

でも、ギターやベースをお腹の辺りで固定してグルグルと廻していた・・・ような印象だけが残っていて

でもそれがホントに 『スペクトラム』 だったのかも定かでない・・・という有様。

だけど、他の方のHPでのコメントを見て、やっぱりあれは 『スペクトラム』 だったんだな、と。

そんな風ですから、今(2000年9月現在)になってCDを聴いても、一体それが誰の声なのかも

よく分からない・・・。もちろん、新田さんのファルセット・ヴォーカルはよく分かりますが。

だから、今になってせっせと情報集めに精を出しています。


え? でも、ファンなんて言って、どうして何も知らないのか?・・・って?

そう言われると辛いところなのですが、当時私は小学6年生。その上、既に『サザンオールスターズ』

という熱狂する存在があったのです。  で・・・

<言い訳・その1>

  まず、映像に関して言えば、そもそも小学生である私が見ることが出来るテレビ番組というのは

  たかが知れています。歌番組と言えば「ザ・ベストテン」くらいなものです。とても夜遅い時間の音楽

  番組など見られません。自分だけの部屋なんてなかったし、テレビも家に一台しかなかったし。

  (桑田さんの深夜ラジオは寝たふりして、こっそりイヤホンで聴いてました)

  でも 『スペクトラム』 が果たして、「ベストテン」にそう何度も出ることがあったでしょうか?

  実際、『スペクトラム』 が 一度でも「ベストテン」に出たことがあったのかどうか、それも記憶に

  ありませんが。 

  ・・・という訳で、テレビで 『スペクトラム』 にお目にかかる機会はほとんど与えられませんでした。

  と言って、福岡に住む私にとって 『スペクトラム』 のコンサートになど行けるわけもありません。

  もっとも、たとえ地元福岡でコンサートが開かれたとしても、人一倍厳しかったうちの親が小学生の

  私をそんなコンサートに行かせてくれるわけもありませんが・・・。

  それで、私には 『スペクトラム』 が演奏している姿に関する記憶がほとんど無いに等しいのです。

<言い訳・その2>

  次に音源。

  アルバムなども発売されていたのだから、それを買って聴くことは出来たはず・・・。

  確かにそうです。 でも、当時の私のお小遣いは1000円程度。お年玉は1.5万〜2万円くらい

  もらえていましたが、それは全て親に管理されていて全額郵便局の貯金へ・・・。

  私自身は通帳も印鑑も持たされていませんでしたから、自由になるお金は月々のお小遣いのみ。

  だけど、先に述べた通り、私には既に 『サザンオールスターズ』 という存在があったのです。

  どうしても、そのアルバムが欲しくて、毎月のお小遣いはほとんど手をつけることなく蓄えられて

  いました。

  でも、当時アルバム一枚買うには、私のお小遣いがほぼ3ヶ月分・・・。

  その上、我が家のステレオは兄が分解して壊してしまっており、買ったアルバムを聴くためには

  レコードプレーヤーから買う必要がありました。

  それで、最初に買ったのが、見るからにチャチなプレーヤー。それでも当時のお金で1万円以上の

  値段でした。そんなお金のなかった私は親に相談しましたが、やはり貯金を取り崩すことは許して

  もらえず、結局は親がお金を立て替えてくれ、その分を月々のお小遣いから一定額ずつ返済して

  いくという厳しいものでした。これで、私がアルバムを手に入れるには、さらに長い月数がかかる

  こととなったのです。だから、私は何かを買う時には、何度も何度も考え、しばらく時間を置いて

  どんなに考えても時間が経っても、それでも欲しいというものだけを買う、という癖が身について

  しまいました。 『スペクトラム』 のアルバムも、店頭で何度も手に取り、”どうしようか・・・、でも

  まだ時間はあるから、もう少し考えて” などと言い聞かせていたのです。

  けれど、ようやく親への返済が終わるという頃、私のポータブルプレーヤーはダメになってしまい

  ました。それで、またしても親に借金して、新たなプレーヤーを購入です。これが当時のお金で

  3万円近かったと思います。 今度は、直に録音できるようにテープレコーダーが内蔵されている

  ものです。前のはそんなものついてなかったので、プレーヤーとカセットデッキの双方にコードを

  差し込んで録音していました。

  何しろ、貴重なレコードです。何度も聴くとすり減ると教えられていた私は、レコードを買うとすぐに

  テープにダビングして、テープの方を繰り返し繰り返し聴くようにしていたのです。

  ・・・まあ、そういうわけで、当時の私には、とても 『スペクトラム』 のアルバムを買う余裕までは

  なかったのでした。

  そうするうちに、店頭から 『スペクトラム』 の文字が消え・・・、気づいた時には時すでに遅し。

  『スペクトラム』 は いなくなってしまっていました・・・。

<言い訳・その3>

  大人になって、自分でお金を稼ぐようになり、時代はレコード盤からCDへと移り変わり・・・

  昔のアルバムがCDとして復刻されたりもするようになった時、当時は買うことが出来なかったあの

  『スペクトラム』 もCDとして発売されるのではないか、という淡い期待を抱いていた私ですが

  一向にその気配もありません。それでも、機会あるごとに店頭で 『スペクトラム』 の文字を探して

  いました。

  そして、1991年。 そう、『スペクトラム』 のアルバムがCDとして復刻された、まさにその年から

  何とも皮肉なことに、私は一切そういうお店に行く機会を失ってしまったのです。

  もともと、『スペクトラム』 が現役で活動していた当時から、私の周りで誰かがその名前を口にする

  のを聞いたことすらなかった私は、『スペクトラム』 というバンドはそんなに世間では認知されて

  なかったんだな・・・という思いでいました。

  だって、他の方のHPでの書き込みを見ていると、結構 『スペクトラム』 の影響でブラスバンド部に

  入ってしまいました、なんて人も多いのに、中学で、そのブラスバンド部に入部した私の周りでは

  (私の場合、『スペクトラム』に触発された訳ではなく、やはりブラスにいた兄の影響でしたが)

  『スペクトラム』 という名前はただの一度も耳にしたことすらなかったのです。

  『YMO』 のファンは多かったのに、何故?・・・。
 
  なので、CDを探す機会を失った時から、もう 『スペクトラム』 に触れることは、今となっては

  不可能なんだと諦めてしまっていたのでした。

  インターネットを始めてからも、何度か 「スペクトラム」 で検索してみましたが、ヒットしなかったし。

  だから、今になって、こんなに沢山の 『スペクトラム』ファンが健在で、今でも入手出来る音源が

  あると知った時の私の喜びと来たら!

  
  というわけで、今になって、こんなにも 『スペクトラム』 に熱く燃えている みるくなのでした。  
 

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