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妊娠前 〜 妊娠6ヶ月
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準備期 | −−− |
妊娠のその前に・・・ (2002年 4月中旬) 再婚して1年余。 私もいい歳になるし、子供を産むならもうそろそろ限界かなと思い、夫と話し合って 産むことに決める。 でも、それにはかねてからの懸案事項(・・・なんていうほどのことでもないが)である私の扁桃腺の 手術を済ませておかねばならない。 何せ、子供が産まれたら、扁桃腺炎で寝込んだりなんてしていられないものね。 本当ならもっと早く、最初に発病した6年前の段階で済ませておきたかったのだけど、当時はとても 10日も入院なんてしていられるような職場の状況ではなかったし、その後二度転職たけど、やはり そんなに長く休めるような状態ではなかったので、結局今まで延び延びになってしまっていたのだ。 もともと私は子供の頃から一度も扁桃腺なんて腫らしたことはなかったし、扁桃腺が大きいなんて 言われたこともなかった。 風邪をひいたって喉が痛くなることも少なかったし・・・。 だから大人になるまで扁桃腺なんてものの存在を意識したことは一度もなかったのだ。 ところが7年前に就職した会社がとにかく煙草がすごくて、事務所の中は一日中煙草の煙でもうもうと 白く煙ってる状態。 そこで働き出して10ヶ月くらい経った頃、生まれて初めての扁桃腺炎に。 かなりの重症だったけど、何とか治ってホッとしていたら、1ヶ月後にまた! その際、医者からは「炎症が治まったら切除した方がいい」と手術を勧められたものの、とても仕事を 休める状態ではなく・・・。 でも、それからは、ほぼ毎月のように扁桃腺を腫らし、高熱を出すように。 それでたまりかねて、最初の発症から8ヶ月後に退社。その後二度変わった職場はいずれも事務室内 禁煙だったので、扁桃腺を腫らすことはほとんどなくなった。 それでも時折思い出したように、年に1〜2度は発症していたので早いとこ手術をしたかったのだけど。 今の仕事は派遣社員だけど、クライアントとは長期の契約で働いていることもあり、派遣だというのに なかなか自由に休むことは出来なかった。何せ派遣会社の担当者が異常に厳しい人で、体調が悪くて 休むのでさえ、なかなか許してもらえなかったくらいなのだ。勿論、仕事場自体とても休めるほど暇では なかったのだけど。 でも1年前からその担当が変わり、時を経る毎に仕事の内容も徐々に変わり、割と暇になっていたので 今なら休めるんじゃないかと思い、思い切って担当者にお願いしてみることにした。 すると担当は勿論、クライアント側も快諾してくれ、無事手術出来る運びとなったのだ。 正式には 『両口蓋扁桃切除手術』 という。 4月中旬に10日ほど入院し、その後も経過が悪くて1週間ほど自宅療養して、それでようやく 扁桃腺炎とはおさらばできたのだった。 さぁ、これで妊娠準備は整ったゾ (!?) |
妊娠1ヶ月 | 妊娠0週 〜 3週 |
計画妊娠 (2002年 6月下旬) 本当なら扁桃腺の手術が済んで最初の排卵日に・・・と思っていたのだけど、術後の経過が思わしくなく 微熱が続き、喉の違和感も強く残っており、とてもじゃないけどそんなこと考えられず。 結局、翌月の排卵日近くにトライ。 でも失敗。 さらに翌月、再度挑戦。 多分成功してるはず。 それにしても、まだ妊娠もしていないうちから 『妊娠1ヶ月』 『妊娠3週』 って数え方は感覚的には 受け入れがたいよね。(妊娠の月数は最終月経から数えるため) 産婦人科がない!? (2002年 6月下旬〜7月初旬) 子供を産もうと決めてから、色々と産婦人科を探してみた。 派遣社員で産休がないのがイタイけど、基本的には産むまで(働けるうちは)働きたいから、定期健診の ことを考えれば職場近くの病院が便利だけど、でも、退職後のことを考えると自宅近くの方がいい。 何せ、車の免許は持っているものの、もう何年も運転してなくてペーパードライバーだし、自分で運転して 通院する勇気はないから、出来れば歩いてでも行けるくらいのところを希望してた。 で、電話帳とか色々調べたら、結構近くて充分歩いて行ける距離に数軒の産婦人科が存在することが 判明。 それで安心して、具体的に決めるのは妊娠してからでいいや・・・とのんびり構えていたのだけど。 多分妊娠してるだろうし、そろそろ・・・と思い、行動に移すことに。 長く通うことになるのだし、デリケートな部分でもあるから相性も大事だし、出来れば入院中は個室がいい ・・・などなど色々と要求もあるから、詳しく知ってからじゃなきゃ決められないことだけど、まずは電話をと 手始めに1軒目にかけてみると、「健診はしますがお産は出来ません」 とのこと。 えぇ〜!? それならと、他の産婦人科にもかけてみるけど、その全てが同じ答え。 そのうちの1軒は、前はお産もやってたけど今はやめているってことだったけど。 ガ〜ン!!! 結局、自宅近くの産婦人科は全滅。 産婦人科って、ビルの一室とかでやってるクリニックなんかで入院設備がないところ以外は、どこでも お産できるものだと思ってたので(不妊治療専門外来なんて謳ってあれば別だけど)、びっくりしてしまう。 だって、いずれの病院もいわゆる町の個人病院で (正式な区分でいえば診療所にあたるんだろうけど) 病室もあるし、電話帳広告にも「諾入院」って書いてあるし・・・てっきりお産できると思ってた。 あんまりなんで、電話をかけた時に「近くでお産できる病院ありませんか?」 と聞いてみると いわゆる総合病院しかないと言う。 確かに、うちの近所には大きな大学病院と市民病院がある。そこでお産が出来ることは私も知ってたけど そういうところは健診の待ち時間もとんでもなく長いし(2〜3時間待ちなんてザラ)、大部屋なのも嫌だし 初めから除外して考えてたのに。 あまりのことに思考停止状態に陥ってしまう。 昔(十数年前)は、もっと沢山お産の出来る病院あったのに・・・。 これも少子化の影響? お産の設備整えてても、産む人が少ないから採算取れないのかな? まぁ、医師自体の高齢化っていうのもあるみたいだけど。 あ〜、ショック・・・。 |
妊娠2ヶ月 | 妊娠4週 〜 7週 | ||||
どうやら妊娠 (2002年 7月初旬) (妊娠4週) 熱っぽく、風邪気味って感じ。でも、妊娠している可能性も大きいので薬を飲むわけにもいかず・・・。 生理が始まってもいい頃なのに遅れているし(私の場合かなり正確で普段ほとんど誤差はない) ずっと胸も痛い。 昼休みに薬局で妊娠検査薬を買う。 あまりに体が辛いので、3時過ぎに早退する。 翌日、とうとう仕事を休む。熱は下がらないし、薬も飲めず無理出来ないし・・・。 前日買った検査薬は、確実に診断するにはまだ少し時期が早い為、まだ使用せず。 (妊娠5週) その翌日も熱は下がらず仕事を休む。 翌日は仕事に復帰するけど、相変わらず体調は悪い。 その翌日、まだ早いと思いつつも、ほぼ間違いないと確信していたし、念のためってつもりで検査薬を使う。 結果はやはり陽性。 病院、決めなきゃ・・・。 初診 (2002年 7月上旬) (妊娠5週) 午前中、会社に行く前に産婦人科へ。 結局、以前会社の同僚の友達がお産したと聞いていたところがあったので、そこに。 自宅と職場の中間にあり、自宅からは自転車でもバスでも10分程度のところだ。 一応事前に電話で、お産も出来ることは確認済みだ。 詳しいことは分からないけど、最悪、自分の希望するようなところでなければ転院するのもやむなし、と思い とりあえず行ってみた。 結果はやはり妊娠。まだ小さすぎて予定日は確定できないけど、3月上旬らしい。 現在は妊娠2ヶ月。5週頃だろうとのこと。 太っているので、体重について厳しく言われる。これ以上増やさないようにと。・・・反省。
まさか流産!? (2002年 7月中旬) (妊娠6週) この日は日曜。 午後トイレで用を足した後、突然出血。 止まらないほど大量ではないけど、まるで生理の時のような鮮やかな血・・・。 お腹は痛くないけど、ひょっとして流産の兆候? 慌てて病院に電話してみるけど、状況を聞かれた後、車に揺られて来院するよりもそのまま家で安静にして 様子を見るようにと指示される。 もしも出血が止まらなかったり、量が増えたり、お腹が痛くなるようなら、その時はすぐもう一度連絡した上で 来院するようにとのこと。 痛みは全くなかったけど、とりあえず指示通りにベッドで横になって休む。 前日は午前中買い物した後、昼過ぎから隣の佐賀県伊万里市(都市高と有料道路を使っても1時間半程)へ ちょっと遠出して、9時過ぎまでそこにお邪魔してしまったから、ちょっと無理しちゃったのかな。 その前の日には昼休み外を歩いている時、右の下腹部にピリピリするような痛みがあり、トイレに行くと おりものに少し血が混じってたから、極力ゆっくり歩くよう気をつけてたんだけど。 結局、出血はそのまま止まり、痛みもなく、事なきを得てホッと一安心。 でも、もっと気をつけなきゃね。 つわりの到来 (2002年 7月中旬) (妊娠7週) 異常出血があったので、週明けからは念のため、それまでの自転車通勤はストップする。 と言っても、うちから最寄りのバス停までは結構距離がある為、朝は夫が車で送ってくれることに。 帰りはさすがにバスを利用するけど・・・。 夫は私を送った後家に戻り、自転車に乗り換えて自分の会社へ向かうので大変だけど、快く協力してくれる。 7週に入ったこの日、体調が悪くて仕事を休む。 数日前からつわりも始まり、ムカムカするし何となくお腹も張る感じだ。 迷ったけど職場のリーダーにメールで妊娠報告する。 ホントは安定期に入るくらいまでは黙っていたいところ だけど、 多分これからも調子悪くて迷惑かけるだろうし・・・。 何せ、私のつわりはひどいから・・・。 (前の妊娠の時もそうだった) ただし、他のみんなにはまだ内緒にしてもらう。 |
妊娠3ヶ月 | 妊娠8週 〜 11週 |
定期健診/予定日確定 (2002年 7月下旬) (妊娠8週) 定期健診の為、朝イチで病院へ。 土曜なので夫に車で連れて行ってもらう。 経過は順調。出血があったりしたので心配だったけど、ひと安心だ。 ようやく分娩予定日が確定した。 母子手帳の交付はまだ先で、来月はその交付の為の血液検査だそうだ。 自治体によっては自分で役所に届け出て手帳を受け取るようになっているらしいのだけど、福岡市では 病院を通じて交付されるので、なかなかすぐにはもらえないのが辛いところだ。 微量の出血 (2002年 8月初旬) (妊娠9週) つわりがひどく、じっとしているのも辛いので、昼休みは気分転換も兼ねて出来るだけ外へ出て 歩いているのだけど、よく下腹部がピリピリ・チクチクするような痛みを感じる。 妊婦向け雑誌によると、子宮が大きくなってくることにより、子宮を支えているじん帯みたいな部分が 引っ張られてチクチクするんだそうだ。 別に異常があるわけではないらしい。 また、出血というほどのものではないが、ごくまれにおりものに一本の筋のように血が混じることも。 極力、ゆっくり動くようにはしてるんだけど。 つわりは苦しい (2002年 8月中旬) (妊娠11週) 私の誕生日。 だけど、つわりがまさにピーク。 身体を起こせば常に吐き気。最低でも一日に2〜3回、多いと10回くらいは吐いてしまう。 妊娠前と比べると、すでに約4sの体重減。 お腹の赤ちゃんがまだ小さいし、もともと私が太っているので赤ちゃんには何の問題もないけど、 ただ、ほとんど飲んだり食べたり出来ないし、お腹に入れてもすぐに吐いてしまうので、体力的には かなり辛い。 すぐ疲れるし、気分は悪いし、申し訳ないけど家事のほとんどは夫にお任せ状態だ。 思えば、前の妊娠の時も、つわりがひどくて2ヶ月ほどで体重が10sくらい減り、結果的には約3ヶ月 の間、日中はほとんど一日中寝込んだ状態で、だから当然仕事なんか出来ず、完全に休みをもらい、 食事もほとんど摂らず・・・という生活。けど、家事の一切は私がやってた。 そんなひどい状態でも、夫が帰ってくれば食事を作らねばならず、すると片付けもせねばならず、 当然、毎日とは言わずとも掃除も洗濯もせねばならず・・・。 今回同様、身体を起こすと吐いてしまう状態で、ゲーゲー死ぬほど吐きながら家事をやっていても、 前の夫は「かわいそうに」と口ではいたわってくれても、ただの一度も食事の片付けをしてくれたことも 洗濯をしてくれたことも、掃除をしてくれたことも・・・何ひとつない。どんなに私が辛そうでも、ね。 今の夫は、自ら進んで何でもやってくれる。 とても有り難い。 |
妊娠4ヶ月 | 妊娠12週 〜 15週 | ||||
定期健診/血液検査 (2002年 8月下旬) (妊娠12週) 定期健診の際、前回予告のあった母子手帳交付の為の血液検を同時に行う。 目的としては、妊娠出産に耐えうるだけの体力があるか、何か病気はないか、特に赤ちゃんに感染 するような病気を持っていないか・・・そういったコトを調べるということらしい。 しかし、やはり予想していた通り、なかなか血管が出ずに採血に苦労する。 昔からずっとそう。単に太っているからという訳ではなく、もっと全然痩せてた頃からそうなのだ。 看護師さんの話だとかなり血管が細いらしい。 確かに、若い頃献血の度にやたらと時間がかかって大変だった・・・。 事前の検査で比重とか調べる時に「いい血液ですね〜。是非400cc取りましょう」なんて言われた こともあるけど、いざ取るとなると大変! さすがに献血の場合相手も慣れているので、よそに比べると血管を探し当てるのは随分楽だけど 針を刺したあとがまたひと苦労。 初めはピュ〜と勢いよく出るものの、血管が細いせいですぐに勢いが衰えてしまい、なかなか 必要量を取れないのだ。手をグーパーグーパーさせられたり、手の位置をあれこれ変えさせられたり 苦心惨憺して他の人の倍くらいの時間をかけてようやく終わる始末だ。 そんな風だから、普通の病院での採血の場合、相手がよほど熟練した看護師さんでない限りは 長時間ゴム管で腕を縛られ、その腕を延々とペチペチ叩かれ、挙げ句に何度も何度も刺し直され・・・ なんてことも。 また、ようやく刺さっても、たかが検査用の僅かな量でさえ必要量取れず、別のもっと太い血管を 探してやり直し・・・なんてことにもなったりする。 大抵、あまり経験の豊富でない若めの看護師さんは「私には無理ですぅ〜」などとのたまい、別の 看護師さんに替わってもらっているし。 それほど、かなり、相当に、やっかいな血管らしい。 今回、「出産までにはもっと出るようにしといてね」などと冗談まじりに言われたが、一体どうすれば いいと言うのだ? ま、まずはてっとり早く、もっと痩せるってコトかな? 超音波の画像では、ようやく単なる袋ではなく人間形のものが見えてきた。 手足ははっきり見えなくて、まるでこけしみたいだけど。 次回はようやく母子手帳がもらえるぞ!
大幅体重減 (2002年 9月中旬) (妊娠15週) 体重を計ってみると、妊娠前からみて7s近く減っていた。まぁ、これだけ食事が出来ず、なのに 通常通りの仕事をしていれば当然・・・かな。 でも、こうやって仕事をしているせいで、日中は多少なりとも気が紛れるという面もあり。 一日家にいたら、きっと横になっていない限り、ずっとムカムカしてるんじゃないかな。 |
妊娠5ヶ月 | 妊娠16週 〜 19週 |
定期健診/母子手帳交付 (2002年 9月下旬) (妊娠16週) 定期健診では異常なし。 今日からようやくエコーの画像をビデオに録画してもらえた。 そして、待ちに待った母子手帳の交付! 前の時より随分サイズが大きくなってる・・・。 なんか、持ち歩くのに不便そうだ。 帰宅後、夫にエコー画像のビデオを見せながら、「ここが頭で・・・ここが・・・」なんて説明してあげても なかなか判別出来ない様子。 何せ、夫は毎回病院に送ってくれてるけど、ずっと待合室にいて診察室まではついて来ないので、 (たまに一緒に入っていく男性もいるにはいるけど少数派) 写真でなく動いているエコー画面を 見るのはこれが初めてだし。 言われてみれば確かに、エコーの画面はすごくわかりづらいし、熟練を要す? 東京へ旅行&ライブ (2002年 9月下旬) (妊娠16週) 健診の翌日、飛行機で東京へ。 スペクトラムの解散記念日のこの日は、去年に引き続き東京でトリビュートライブがあるのだ。 ライブは夕方からなのだけど、例年この日はスペクトラムファンが「解散記念日オフ」と銘打って オフ会をやることになっていて、私も去年初めて参加した。 で、子供が出来たら当分こういうことも無理になるので、最後にと今年も行くことにしたのだ。 健診の時に身体の方は問題ないと許可をもらってはいたけど、まだまだつわりの真っ最中なので、 羽田に着いたらもうバテバテ。とにかく気分悪くて、速攻トイレへ駆け込み吐いてしまう。 でも、まるで乗り物酔いでもしたかのように、吐いた後もずっとムカムカして気分悪い。 それでも頑張って、オフ会前に予定していたNHKのスタジオパーク見学に出かける。 ところが、駅を降りて歩き出してすぐ、その建物は見えてきたものの、入り道を間違えてしまったため 延々と公園の周りを歩く羽目になり、予定の何倍も時間がかかってしまい着いた時にはもうクタクタ。 迷った末、幹事さんに電話してオフ会は途中参加にしてもらう。 それで一旦ホテルへ入り、時間まで少し横になって休んでから行くことに。 ライブの方は去年より格段に上手になっていて、かなりの聴き応え。大満足だ! だけどさすがにその日は疲れてしまったので、ライブ終了後の打ち上げオフ会には参加せず ホテルに帰ってすぐに休んだ。 お腹の赤ちゃんは一体どう感じたかな? 残念ながら、まだ胎動を感じられないので反応は不明だけど・・・。 妊婦はいらない (2002年 10月初旬) (妊娠17週) いよいよ今の仕事も今月一杯となった。 本当なら年内一杯は働きたかったし、その意向は伝えてあり、実際恐らくその予定だったんだけど・・・。 でも、クライアントの判断で契約は更新されないことになってしまった。 今年の夏から責任者になった上司の強い意向らしかった。 妊婦なんか置いておいても仕方ないらしい。 こういうところが、派遣って弱いよね。 本当なら、妊娠を理由に辞めさせられるなんてことはないはずなのに! 結局、私は派遣で働き始めて最初の派遣先が今のところなんだけど、もう5年以上いたことになる。 まぁ、振り返ってみれば、私が入って1年もしないうちに最初のリストラが始まり、その更に1年後からは 本格的に人員整理が・・・。 私がいるところは派遣社員だけで30人以上いる部署で、入った当初は皆一律3ヶ月ずつの契約更新を 繰り返していた。ただ、この更新は本人が「もう辞めます」と言わない限り、延々と続くのが実状で 実際クライアント側から切られるなんてことは まず考えられなかったのだ。 かなり過酷な部署で、続けられないと辞めていく人も多く、また熟練を要する部分も大きかった為、 クライアントからすれば出来るだけ皆に長く残って欲しいというのが本当のところだったのだ。 ところが、クライアント側が徐々に業績不振に陥り、当初3ヶ月更新だったものが1ヶ月更新になり もう4年以上も合理化・人員削減が繰り返され、派遣社員の人数が半分以下になり、もともと違う部署だった ところとくっついて 同じグループになったものの、さらに人員は減らされ、とうとう元の3分の1以下になり・・・。 と、みんながどんどん辞めさせられていく中で、何とかこれまで生き残れただけでもラッキーだったと 思わなきゃなのかな。 だけど、年内一杯働くつもりでいたから、来年から夫の扶養に入れば区切りもいいと思っていたのに 一体残りの2ヶ月の間の健康保険と年金をどうしたらいいのか・・・頭が痛い。 安産祈願 (2002年 10月上旬) (妊娠18週) 妊娠5ヶ月半ばの土曜日、宇美八幡宮へ安産祈願へ出かける。 さすがに平日に仕事を休んでまでは行く気になれないので、戌の日当日ではないけれど。 実家の母が買ってくれたさらしの腹帯を持参して祈祷を受ける。 赤ちゃんのお宮参りに来た家族と一緒だった。 祈祷が済むと、奧の「子安の石」が山積みになったところでじっくり吟味して、小さくて丸っこいかわいい石を 見つけて、夫とも意見が一致したのでそれを借りることにした。 それから子安餅という、太宰府天満宮の梅ヶ枝餅みたいなあんこ入りの焼き餅を買って夫の実家へ。 義母が帯祝いとして祝い金と安産のお守りをくれた。 ※宇美八幡宮・・・神功皇后が新羅からの帰国中、この地で応神天皇を無事出産されたという 伝説に由来。この二人を祀り、安産信仰の神社として有名。 また、この出産の時に産湯をつかわせた官女を湯方殿といい、助産婦の祖神様 として、本殿の裏に祀られている。(=「湯方社」) 境内には国の天然記念物に指定されている樹齢約2千年以上の大樟が ご神木としてそびえ立つ。 福岡空港から車で15分〜20分程度。 ※子安の石 ・・・上記の「湯方社」の周りに丸い石がうずたかく積み上げられており、その石々には それぞれ名前と生年月日、住所などが書いてある。これを子安の石と呼び、妊婦が この子安の石を一つ選んで持ち帰り、無事出産後に別の石に我が子の名前等を 同様に記して、先に借りて帰った石と一緒に奉納する風習がある。 安産をされた方にあやかり、また自分の石を納める事で我が子の成長と幸福を 宇美八幡宮に祈願することになるというもの。 やはり胎動だった (2002年 10月中旬) (妊娠19週) 少し前から何となく下腹部の辺りでポコ、ポコ・・・と泡がはじけるような、ガスがグルグルいうような感じが あったのだけど、あくまで単発で、胎動だという確信が持てずにいた。 でも、この日ようやく 「これだ!」という感じが! それに、今朝妊娠以来初めて赤ちゃんの夢を見た。私の赤ちゃんで、男の子だった。 名前なんかは分からないけど、顔を見て男の子だってすぐに分かった。 夫に話すと、「きっとホントに男の子なんだよ」 って。 そうなのかな? ようやく歯医者へ (2002年 10月中旬) (妊娠19週末) 仕事の帰りに自宅近くの歯医者へ。 出産前にきちんと行っておかなきゃ・・・と思いつつも、なかなか時間もとれないし、どこの歯医者に行けば 良いものやら悩んでて、こんなに遅くなってしまった。 でも、働いているうちに診察を受けておかないと、退職後だと国保になるにせよ夫の扶養に入るにせよ 負担率はアップするから、慌てて病院を探して。 ホントは、通勤の道筋にある自宅近くの病院にと思ったのだけど、電話してみたらメチャメチャ繁盛してる らしくて、夕方の予約は来月半ばまで一杯だって。 なので、通勤の道筋からは少し外れ、回り道になってしまうけど、まぁ自宅からは近いところにある病院に したのだ。 この際悪いところは全部治療希望なので、レントゲンを撮ってまずはステイン除去。 普段からコーヒーも飲まないし煙草も吸わないから、先生は首をかしげてた。 確かに子供の頃から緑茶好きだから、かなりお茶は飲むけど・・・。 と、「もしかしてイソジンのうがい薬とか使ってます?」と先生。 なるほど、確かに6年前からちょくちょく使ってるし、この春には手術・入院してかなり長期にわたって 一日何度も使ってました! 虫歯自体は軽めのが2本見つかったけど、前に歯医者に行ったのは実は10年以上も前。 それ以後全く放っておいた割には、口の中はとても良い状態なのですって。 ただ、10年前の治療に関しては、かなりお粗末な技術だったみたい・・・。 |
妊娠6ヶ月 | 妊娠20週 〜 23週 |
定期健診/逆子だった (2002年 10月下旬) (妊娠20週) 定期健診で逆子になってることが判明。 もちろん、まだまだ赤ちゃんも小さくてクルクル動き回っているから心配はないのだけど。 エコーで見ると、やや標準より小さめみたいだけど、元気そうなので安心。 つわりの方もようやく落ち着いてきたみたい。 最近は一日に1〜2回吐く程度になってきてたのが、ここ数日は一度も吐かずに済んでる。 やっと一息・・・。 仕事納め (2002年 10月下旬) (妊娠21週) この日は私の最終出勤日。 本当なら31日までのところだけど、明日・明後日と東京へ行く為休みをもらったのだ。 なので、出勤はこの日か最後。 終業後、色んな人から花束をもらったりして、不覚にも泣いてしまった。 5年以上もいたんだもんね。 メンバーも長い付き合いの人が多いし・・・。 最後の旅行&ライブ (2002年 10月末) (妊娠21週末〜22週) 出産後は行けなくなるからと、最後の東京行き。 去年の12月に初めて、「江古田勉強会」のライブに行ったらすっかり病みつきになってしまい、今年の 3月・6月と回を重ね、そして今回が私にとっては最後のライブに。 もちろん、子供が少し大きくなったら、また復帰したいとは思っているけど、それだって2〜3年は先の ことだろうしね。 もうつわりもほとんど治まっているし、安定期だし、まだまだお腹はそれほどは目立たない大きさだし、 先月の東京行きよりは随分楽。 今回は平日のライブということで、客席の座席配置もいつもと違うし、ライブの内容もいつもと少し 趣が違っていた。 でもいつも通り、ノリノリの楽しいライブだったのに、お腹の赤ちゃんからはあまり著しい反応は返って 来ず、ちょっと淋しい。 (前の時は、妊娠中にテーマパークへ遊びに行き、そこで打ち上げ花火を見て いたら、その大音響にお腹の子もバンバンお腹を蹴って反応してたっけ・・・) 将来はどんな音楽を聴く子になるのかなぁ? ライブ終了後の打ち上げの時、今回のライブを最後にしばらく「出産・育児休暇」に入りま〜す!と報告。 私が復帰するまで、ライブ活動続けててくださいね! 翌日、東京から戻るとさすがに疲れてた。何より、飛行機の座席にじっと座っているのが辛いよね。 でも、お腹の子はちゃんと動いてるし、大丈夫みたい。 赤ちゃんのために (2002年 11月上旬) (妊娠22週) 予定より2ヶ月も早く会社を辞めざるを得ず、思いもかけず無職になってしまった私。 初めはショックだったし悔しい気持ちも大きかったけど、赤ちゃんを迎える準備に専念出来る期間が 2ヶ月も余分に出来たんだと思うことに。 ゆっくりと、部屋を片付けたり、赤ちゃんのものを揃えたり、ベビー服なんか作ってみたり・・・と のんびり楽しんで過ごそうと決めた。 早速、水仙やチューリップなどの秋植え球根をベランダのプランターに植える。 開花時期が3月頃なので、赤ちゃんが我が家に来る頃に咲いてくれるんじゃないかと期待して。 かなりの数で植えるのも大変だったけど、何だかワクワクする。 無事、綺麗な花を咲かせてくれるといいな。 送別会 (2002年 11月上旬) (妊娠23週) 退職から1週間ほど過ぎちゃったけど、職場の仲間が送別会を開いてくれる。 天神の職場のすぐそばのお店だ。 ここは手頃なお値段で美味しいので、よく職場の仲間たちと利用していたところ。 休みの日には夫と、わざわざここのランチを食べるために天神まで出てきたことも度々あるくらいだ。 妊娠してからずっと、つわりだ何だでまともに外食なんてしてなかったので、久々にご馳走!って感じ。 久しぶりにお腹一杯食べて、大満足! でも、帰宅してから吐いてしまう。 ・・・ふぅ、勿体ない。 今でも時々戻してしまうし前ほど量も食べられないし、まだ完全につわりが終わったわけではないの? めまい (2002年 11月上旬) (妊娠23週) ディスカウントストアで、赤ちゃんのためのチャイルドシートを見ている時、軽いめまいが・・・。 吐き気もして気分が悪くなり、慌ててトイレで戻す。 次の日になってもまだ気分悪く、夜には再び吐いてしまう。 貧血かな?と思ったけど、本によるとこの時期ありがちなことらしい。 赤ちゃんが大きくなってきて沢山の血液が必要なので、体内の血液量が増えて血圧も上がり、 動悸がしたりめまいがしたりするんだとか。 まだまだ妊娠6ヶ月だっていうのに(先は長いのに)、大変だ〜! |